借金返済ブログ

完済目指して奮闘したサラリーマンの奮闘回想録

2枚目のカードローンも大手銀行のカードローン

      2016/04/18

給料袋

私は1999年の春に結婚して中古マンションを購入しました。

本来ならば人生で最も幸せで将来への希望に満ち溢れている時期の筈ですが、何故か私の心はスッキリとは晴れませんでした。やはり、この頃から将来に対する経済的な不安が片時も頭から離れなかったからです。

伸び悩む給料

というのも、入社以来、順調に年収が増えていましたが、昨年ころから年収の伸びが無くなりつつあったからです。

つまり、今までの私の「根拠の無い自信」の中で、唯一の根拠と言えた年収の伸びが望めなくなっていました。

1999年になるとバブル崩壊後のデフレ経済に加えてITの普及で若者層を中心に活字離れが進み、私が勤務する大手出版社の業績も悪化し始めたのです。

特に、雑誌の発行部数減は目を覆うばかりで、私が勤務する大手出版社でもいくつかの雑誌が廃刊になっていました。更に、単行本の売れ行きも前年比でマイナスが続く有様。

もともと、大手出版社・テレビ・新聞社などのマスコミ関連企業は、金融機関と並び高給企業のイメージを保ってきました。私も入社5年目で年収は600万円ほどに達していました。

しかし、昨年から賞与が前年比で減り始め、毎月の各種手当も減り始めました。それに加えて、私が所属するフィールドセールス部などの営業関連部署に於いては、経費削減の嵐が吹き荒れる始末。

最も影響を受けたのは交際費で次は交通費でした。

使えなくなる交際費

それまで、3ヶ月に一度くらいの間隔で各担当企業の担当者と会食を重ねていました。

時には銀座のクラブやキャバクラに繰り出すこともあり、深夜の帰宅にはタクシーが許されていました。

しかし、交際費が大幅減額されたばかりでなく、交通費も大幅減額で実質的にタクシーは利用できなくなりました。

ところが現場に於いては、今までやっていた接待を急にゼロにはできません。

そこで、料亭を居酒屋にしたり、二次会はクラブやキャバクラを止めてカラオケやホテルのバーにするなど工夫しました。

また、帰宅は終電にするなど涙ぐましい努力でしたが、結局のところ接待をやればやるほど営業マンが自腹を切る羽目に陥ったのです。

それに加えて、私の家計は、もともとクレジットカードの支払だけでカツカツの経済状況の中で、新たにカードローンを抱えていました。

そのうえ結婚して中古マンションまで購入したのです。

さすがに、この頃になると漫然と「ほんとうに自分の将来は大丈夫なのか。嫁を養っていけるのだろうか」と考えることもありました。

何度も妻に相談しようとしたが・・・

そこで、何度もカードローンのことを嫁に告白しようとしましたが、結局、できませんでした。

その頃の私の小遣いはカードローンの利息の支払に消え、家計はクレジットカードの支払いと住宅ローン・自動車ローンの返済で手一杯でした。その上、接待で自腹を切ることも止められませんでした。

そんな生活が長く続く筈もなく、その年の終わりに私は2枚目のカードローンを申込みました。もともと、私はフィールドセールス部の金融グループで銀行を担当していました。

ですので、銀行の担当者は夏と冬のボーナスシーズンになると、決まってキャンペーンと称して必ずカードローンの勧誘を忘れませんでした。

銀行の研修部や人事部などの部署に於いても、キャンペーンの時にはカードローンの新規開設のノルマがあった訳ですね。

それまでは、友人や知り合いを紹介したりしなかったりで上手くごまかしていましたが、「今回は私が加入します」と言うと先方の担当者はビックリ。

直ぐに、限度額300万円のカードローンのカードが勤務先に届きました。

これで、

「とりあえずは今の生活の辻褄を合わせることができる」

と思ったのを覚えています。

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